次世代の免許 名古屋!
ある審議委員は「政府の代理人が議決延期請求などを巡り、担当大臣と相談するため、会合を中断した。
その段階ですぐに情報が漏れたのではと不安に思った」と明かす。
解除反対の委員に対して、「あなたも(この際)賛成してはどうか」と声をかけたという。
議案成立を喜ぶ余りの軽口だったかもしれない。
だが、政策委は、各委員が独立した意見を表明するのが原則。
その席上で多数派工作まがいの勧誘があったとすれば、この歴史的な政策変更が綿密な景気分析と先行き予測の集大成というより、「もう解除しかない」との一念に突き動かされていたことを物語る。
熱気が支配していた。
米経済の先行きについて。
「アメリカはこれから総選挙があるが、だいぶソフトランディングができているようであるし、今後も緩やかな回復が続く可能性が高いという判断が、大体(政策委の)皆さんできた(米経済に懸念なし)」金融システム問題。
「(「そごう問題』が)市場心理などにどういう影響を与えるかということを見極めたいという課題があった。
全体としてみると、これまでのところ金融システムに対する懸念が広まつたり、市場心理が大きく悪化するような事態は見られていないと、皆さん思われた(金融不安の払拭)」政府の延期請求権を否決した点にも、「N銀法で、政府との十分な意思疎通を図りながら、最終的にはN銀の責任と判断で、金融政策決定を行っていくということが決められている」と毅然と語り、「N銀の責任」を強調した。
「自民党の一部に総裁の辞任を求める声がある。
辞任されるおつもりは」との意地悪質問も出た。
質問をした記者を目で探しながら、余裕たっぶりにこう答えた。
「誰がどこでどう言っているのか知らないので、ノーコメントだな」「正常化」の第一歩を自らの責任で果たした晴れ晴れしさ。
その高揚感は、ほどなくウソのように冷え込んでいく。
ゼロ金利解除後の短期金融市場は、それまで長期間にわたって実質的な取引が停止状態だったことを反映してか、戸惑いが取引に浮き出る展開がしばらく続いた。
週明け八月十四日のコール市場。
N銀は無担保コールレート翌日物の誘導目標を0・二五%前後に置き、資金吸収を実施した。
ただ、準備預金積み日の最終日が十五日に迫り、すでに都市銀行などは資金手当てを進めていたことから資金需要は乏しく、前週末比0・0六%高い0・一%の上昇止まり。
翌十五日に定例会見に臨んだHも、「0・二五%の回復は十六日以降だろう」と語った。
ところがその会見が終わったころ、前日とは違う展開になる。
一部の都銀が資金調達に駆け込み、誘導金利は一時0・四五%まで跳ね上がった。
一年半続いたゼロ金利下で、「いつでも資金は取れる」という安心感に浸っていた市場の後遺症が露呈した形だった。
次の十六日、N銀が資金余剰幅をゼロとする中立調節をとったことで、金利はようやく0・一五%前後になった。
しかし、十七日には再び一時0・一三%まで上昇した。
長期金利は解除直前の一・六%台から十一日には一・七三%台に乗せた。
その後、景気回復期待感の高まりもあって徐々に上昇、九月一日には一・九六○%をつけ、一年ぶりの水準となった。
しかし、長期金利の上昇は次第に、景気回復への期待よりも、国債増発懸念に反応する展開となっていく。
その後、懸案となっていたムーディーズの国債再格下げ発表で反転するが、一時一・九九%台まで迫った。
賛成派の審議委員たちも、各地で講演して回った。
Tは九月二十八日に熊本で地元経済人たちと向き合った。
Tは、専門とする米経済の評価に触れ、「輸出は円高の影響はあるだろうが、順調な海外主要国の景気拡大を反映して、増加基調は続くと思われる。
米国経済は、個人消費に若干の減速の兆し水の姿が浮かぶ。
その上で、ゼロ金利解除後のNを引き合いに出し、米経済型への転換に向かう「変化の芽が着実に生まれている」と自賛した。
講演の締めくくりに、座右の銘である神学者、ラインホールド・ニーブルの言葉を引用した。
「神よ、変えることのできるものについてはそれを変えるだけの勇気を、変えることができないものについてはそれを受け入れるだけの冷静さを、そしてこの両者を識別することのできる知恵を与え給え」ゼロ金利政策を変えた勇気を誇示して見せた。
会場の拍手を受けて、満面に満足の笑みをたたえる速日経平均株価は、八月二十八日に一万七千円台を回復。
市場では、「年末には一万円台」の掛け声も出た。
だが、国内景気への懸念や米国株価の不安定さへの警戒から、一万七千円台を維持したのは三日間だけ。
以後は、期待と懸念の間で揺れながらジリジリ下落した。
後遺症で反応の鈍い短期市場。
長期金利、株式市場はともに、解除後は、花火のように反応したものの、長続きはしなかった。
次第に景気減速の暗い影がNを包み込むようになっていった。
ゼロ金利解除後もN銀内の熱気はしばらく続いた。
そこでHは、九月に訪米し、日本米中西部部会で講演した。
Hは米経済の力強さを高く評価した。
「欧州や日本と比較して米国が高い経済成長を実現しているのは、米国の社会や経済が有している変化への対応能力の高さ、柔軟性、多様性を反映しているものだと思う」実際はどうだったか。
前述したように、米経済の実質GDP伸び率(年率、修正値)は二000年四六月期は五・七%増だったが、七九月期には急ブレーキがかかって一・三%増。
十十二月期も一・九%増と低迷が続いた。
さらに二00一年は年間でも一・二%増という減速期に入っていく。
日本の失業率は改善したか。
八月の四・六%から徐々に上がり、十二月は四・九%、その後二00一年に入って、七月には五%台に乗せ、以後も悪化の一途を辿っていく。
二000年の設備投資(民需、船舶・電力を除く)は、確かに堅調だった。
年間の対前年比伸び率は一六・六%増で、前年の0・六%増、前々年のマイナス一八・六%から顕著に改善した。
しかし、前年が低かったことから前月比ベースで一000年を通してみると様相が違って見える。
八月が前月比一九・六%増とピーク。
その後、九月マイナス一四・五%、十月が持ち直して七・七%増、十一月はまた低下してマイナス一・五%、十一月一・0%増と続く(N銀の『主要統計ハンドブック』より)。
その一週間後、Sは名古屋でゼロ金利解除の論理を述べた。
Sも得意の労働環境の分析に力点を置き、こう位置づけた。
「企業部門における収益増加や生産活動の積極化につれて雇用・所得環境の緩やかな改善を見込み得る下地が整ってきている」TはMで壇上に立った。
「ゼロ金利解除後も企業収益の改善を背景に設備投資が主導する景気回復基調は、途切れることなく続いている」「景気の本格的回復に向けて(企業経営者が)もうひと踏ん張りの段階まで来ていると評価してよかろうかと思う」前月比一ケタの伸びは八月だけで、後の月は一ケタ台の伸びか、マイナスだった。
米経済の減速が顕著になる前から、国内の設備投資の足取りは低迷していたわけだ。
ゼロ金利解除の八月を除いて。
つまり「もうひと踏ん張り」どころか、八月のひと踏ん張りだけだったということになる。
各審議委員が、それぞれの専門分野を見誤ったと意地悪に言うつもりはない。
筆者は事実を指摘しているに過ぎない。
Mはこの間、講演には立たなかった。
今や免許 名古屋を無料で提供します。便利で楽しい免許 名古屋が満載です。
免許 名古屋の情報を掲載しませんか?納得の免許 名古屋が手に入ります。
便利な免許 名古屋はパンチがありますね。断然おトクな免許 名古屋です。
